昼間にこのトピックを見かけてちょっと考えてみた。
文藝春秋社長「文庫本の貸し出し中止を」 図書館の利用者からの反響は:PRESIDENT Online – プレジデント https://t.co/oRUdKVG8RP @Pre_Onlineさんから
— いちこ (@ichcoco) 2017年11月28日
うん、あの、買い物ブログになり果ててるからちょっと違う一面を出していこうかなあなんて。
ほら、こんな記事も書いてるしさ。
図書館が文庫本の貸し出しを止めたら出版社の業績は回復するか
しないだろうなあ。
わたしの場合は、5冊のうち1冊ぐらいは買って読むかもしれないけど、残り4冊は「じゃあもういいや」ってなるかなあ。
だって、本高すぎるもの。
学生のころは読書が趣味だったし、暇があったら本屋めぐりしてたし、ネットもない時代だったからお気に入りのシリーズの発売予定を本屋の店頭に貼ってある月間の「出版予定表」にチェックしに行っては一喜一憂したりしてた。
シャーロックホームズが好きだったんだけど(今でもだけど)、たまたま買った文庫の日本語訳が気に入らなくて別の訳者で買い直したりとか。
そして好きな本は何回も何回も読む。それが当たり前だったんだけど、
大人になるとびっくりするぐらい本を読む時間がなくなってびっくりしている。
子どものときはなんであんなに時間があったんだろう、って思ったりするけど、考えてみれば掃除洗濯炊事やってないし、通勤にン時間とられることもないし、まあ当たり前か。
睡眠も授業中に補完できたし。
今は下手したら漫画ですら一読するのが精いっぱい。
どっぷりとその世界に嵌りこむより、とにかく限られた時間内にページを先に進めることが優先になって、悲しいかな「本を読む」という快楽はなんとも薄っぺらいものになってしまった。
この何十年かで文庫本の値段は1.5~2倍ぐらいに値上がりしているわけだけど、その間、反対にわたしの中で「読書」というものの価値は下がってしまった。
あ、あと、買ったらソレを置いておく場所が必要だというのも本を買わなくなる理由のひとつじゃないですか?
何度も手に取るならその意味もあるだろうけど、次にページを開くことがあるか分からない本が増えていくというのは少なくともわたしにとっては気が重いものです。
例えばこれ、時間できたら読み返そうとわざわざ実家から取って来た本。けど置きっぱなしです、去年から。
あと、ぶっちゃけどうなんですか?
最近って面白い本ってあるんですか?
例えばこの御手洗シリーズ、今でも好きなんですが、ほんとにほんとに好きなのはシリーズ9作目ぐらいまで。
特に上に挙げた「異邦の騎士」と「占星術殺人事件」は思い出しても胸がぎゅー!!っとなります。
が
それ以降はぶっちゃけ惰性です。
惰性の勢いが強いうちは買って読んでたけど、もう最近のは図書館にあったら読む感じ。
読めななかったら読めないで別に平気だし。
わたしの感受性が死んでしまったからなんでしょうか。
結局、一度しか読まない本は有料でいいからレンタルできる仕組みがあったらなあと思います。